春風のプロローグ

高校を卒業してから、一年。

大学にも慣れたし、新しいバイトも、一人暮らしも――、
生活が落ち着いてきて、最初の春休みがやってきた。

『え、今 駅?じゃあ実家帰っとるとこなん?』
「うん、まぁ長い休みん時ぐらいは帰らんと」
『ほーかぁ、じゃあお土産期待しとくわー』
「誰が買うかっ。
 あ、んじゃバス来たけん切るわ、またな」
故郷に向かう電車を降りると同時にかかってきた、大学の友達からの電話。
そういえば、よく遊ぶのに、春休みに帰るって事は伝えてなかったっけ。


乗り込んだバスの窓に映る町は、何も変わっていなかった。
駅前の、味はいいのに客がいない定食屋も、軒下に山のようにお菓子が積み上げられた駄菓子屋も、その角を曲がると見える海も。

その道をしばらく走って、通っていた高校の前を通過して、バスは実家へ向かう。

途中で何となく、目的のバス停の二つ前で降りてみた。
「そういやここらへんで学校帰りによう道草食っとったなぁ」
通学路だった川沿いの道の土手。昔はよく、帰りに友達とここで座り込んで話していた。

「…元気なんやろか、ヤス。」
ふと、一年前の事が頭によぎった。

するつもりのなかった告白。
…結局、あの時ヤスは何も言わなかった。
あの後すぐに他のクラスメイトが来て、話もできずに、その日は帰りも別々になってしまって、
…それからずっと、声を掛けるのも怖くなって、卒業まで話すことができなかった。

「…はぁ。」
大きなため息をついて、その場にしゃがみ込んだ。


「あれ、…もしかして、トシ?」
後ろから声が聞こえた。
聞き覚えのある声。

振り返った先にいたのは、彼だった。

「…ヤス……」

まさか、ヤスまで帰ってきてるなんて思ってもいなかった。
「…なんや、トシまで帰っとったんか。元気やったん?」
「え、あ、…うん」
あまりに突然すぎて、上手く言葉が出てこない。

「…昔はよくここ来とったよなぁ」
「…うん」

「…」
ぎこちない空気と沈黙が、まるであの日のようだった。

「…俺、」
先に沈黙を破ったのは、今回も、ヤスの方だった。

「ずっと、な。
何にも返事できんかったやんか。
結局あの後喋らんなってさ、」
「えぇよ、その話は。」
聞くのが怖くなって、ヤスの話を遮った。

「……
じゃあこっからは俺の独り言。やけん気にすんな」
そう言うとヤスは一歩前に、オレの横に並んで、遠くに目をやった。

「…まぁ当然っちゃ当然なんやけど、断るつもりやったんよ、あん時。俺男には興味ないし。
でも、トシがゲイやったってこととか、俺のこと好きやとか、そんなんより、ただ、
…その、俺トシのこと好きやったから…あ、いや恋愛対象としてやないけんな、Likeの方な。
んで、その、もし俺が断って、友達でおれんなったら、って。
怖くて何も言えんかった。
結局その所為でこんなんなってしもたんやけど。」

「…どこが独り言なんよ。」
この空気が嫌で冗談っぽくツッコミを入れてみたものの、オレの声は震えていた。

「ごめん」
「別に謝らんでも…」
「ごめん。色んな意味で。」
「え?」

「あん時の返事も含めて。
ごめん、トシの気持ち、受取れん。」
一年前の返事。
結果は分かってたのに、ヤスの言葉がえらく重かった。

「ただ、俺からも告白さして。」
ずっと遠くを見ていたヤスが、オレの顔を見て言った。

「もっかい、友達になってくれ。」

まさか、こんなこと言われるなんて思ってもいなかった。
ヤスの言葉に返事もできずに、うつむいて、独り言のようにオレは喋り始めた。
「…嫌われたんやってずっと思ってた。
もうヤスに会うこともないやろなって、
あんなこと言わんかったら、って、ずっと後悔しとって、
オレ……」
そこまで言った後、何を喋ればいいのか分からなくなって、また、少しの間沈黙してしまう。

でもせめて今度は、と思って、先に言葉を発したのはオレの方だった。

「うん。」
うまく言葉がまとまらなくて出た台詞。
「うん、って、どういうことよ」
「告白の返事。『うん。』って」

「…分かった。ありがと」
そう言ってヤスはまた遠くを見た。
さっきまでの重く切ない表情は、今日の空のようにすっかり晴れていた。


昨日より少し温かくなった風が、新しい季節の始まりを告げていた。

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